血液型性格研究の是非

血液型と性格の話をし始めると,どうもギクシャクしたり,「差別じゃないか」と言い出す人がいたり,「真理を隠すな!!」という話になったり,なんとなくゴテゴテとしてしまう。


今回は,なぜそうなってしまうのか?考えてみましょう。


ある人が,やや興奮しながら,「いやぁ,大発見だ。放射性核物質を使うとね,たいへんなエネルギーを一度に取り出せるんだ。ビルはおろか,町だって,大きな山だって,一瞬にして灰にすることだって出来るんだよ」と言ったと,しましょう。私なら,その人の目を見ながら,「それを,どう使おうって言うの?」と冷静に聞いてみたくなります。サイエンスというもの,またそれによって得られる成果についても,人類全体,時によっては地球全体のレベルで考慮されなくてはならないのです。


最近,医学の世界では生命倫理についての議論が増えたという。要するに,医学の先端部分が非常に発展した結果,たとえば,実の親でない子供が医学的に出来たり,研究が地球の生態系に及ぼす影響は?など,考えなくてはならないことが多くなってきたという。


ほとんどの医科大学や,研究所では,倫理委員会を設け,研究については慎重の上に慎重を期してから,スタートすべき状況になっているようなんです。要するに,倫理委員会を通らないと,研究に着手すらできない…そういう状況のようです。


血液型性格判断についても,その取り扱いについては,民間のマニアが適当にやってよいような,そんな質の問題ではないと思うのです。研究をやるか否かの段階から,その研究について,また得られた結論がどう出そうかを予測しながら,またその結果がどう出ても,不幸が発生しないように,あらかじめ,深く倫理性を問わなくてはならないのではないか?


何人かの心理学の先生,たとえば,大村政夫先生にしても,また,アナウンサーの森本毅郎さんにしても言えるが,血液型性格論に対する反論を繰り広げるのにしても,やはりテレビの画面上でやるべきではなかったのでは??大村先生,森本さん,他の反対派のみなさんは,おそらく,「人間差別につながる」などの危機感を感じられてやっておられたのは実に良くわかる。お二人とも,良識派の方であるのは間違いないと思います。ただ,ちょっと(お二人を含めた良心的反対派のみなさんにはとても悪いが…)ブラウン管上でやろうとしたのは,ちょっと軽率だったかも…と思うのです。


まして,ゴールデンタイムに視聴率アップが期待できる,血液型バラエティー番組をガーンと仕込んで…などという行為は,もってのほか!! 言語道断と言うべきでしょう。


最後に,法律の世界の話をしたい。私は,諸般の事情にて,理系出身ながら,複数大学で法律を学ぶ機会があったのです。その話をしたい。


あるとき,住宅地のど真ん中に暴力団の事務所が出来ることになった。住民が立ち退きを請求する民事裁判を起こすも,事務所については,きちんと登記されており,暴力団側には,法律上は何の問題もない。


さて,この裁判の結果,どうなったのか??住民側の勝訴になったという。その際,裁判官の説明では,「暴力団の法律的手続きには,何ら問題がない。しかし,合法的であるからといって,正当なものとは限らない」…


昨日の,テレビ局の弁明に,「最近の研究では,血液型と性格は関連があるということがわかって来たので」ありますが,真理であったから,どんどん報道していいかどうかは別であろうし,ましてや,真理だったから,一部の人が損害を被るかもしれない?差別につながるかもしれない?血液型バラエティーがとうとう解禁になった !!!というわけでもないのです。


男女の産み分けが技術的に可能になったから,翌日から,サァどんどんやりましょう!!というわけにはいかないでしょう。


まとめると,バラエティーにせよ,検証番組にせよ,「血液型で性格を」というテーマそのものが,そもそもテレビ番組のテーマとしては不適切であるということ(これは,一般の雑誌など出版物にも言える)。



そう,考えると,冒頭に挙げた,「どうもギクシャクしたり,「差別じゃないか」と言い出す人がいたり,「真理を隠すな!!」という話になったり,なんとなくゴテゴテとしてしまう」理由がわかるのではないでしょうか?

            (つづく)