AB型,B型の皆さん!立ち上がりましょう!!2

こういう本を大量に出版したのが能見

昨日に引き続き,血液型性格判断の話(できましたら,昨日からご参照を)。


本日は,血液型性格判断の基礎知識(歴史について)です。私が,まとめ直そうとしたんですが,フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』がとてもよくまとまっているので,こちらでお読みください。


今日の「血液型性格判断」は、昭和2年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)附属高等女学校教諭であった古川竹二による「血液型と気質に関する研究」が下敷きになっているが、それ以前、大正5年(1916年)に医師の原来復と小林榮は、「医事新聞」に『血液型ノ類属的構造ニ就テ』という論文を発表。「血液型と性格は関係があるのではないかと、思うようになったが、いまだ不明な点が多い」と述べている。 ABO式血液型の「O型」という呼称が国際連盟の専門委員会決議されたのが昭和2年。古川説がでたのと同じ年であることをみても、この時代はまだ血液型そのものに関する研究も未熟であった。


古川は、昭和7年(1932年)には三省堂から一般書として『血液型と気質』を刊行。はじめは、気質を「積極」、「消極」の2分法だったものが、ここで4タイプに拡大されている。一般には、同書の内容が古川説とされている。


古川が血液型と気質との関係を調べた主な手法は、血液型別の質問項目(自省表)をそれぞれ10項目程度ずつ作成し、質問紙法により血液型との一致率を測定するものである。古川自身によると、自省表は80%以上の一致率があるものとされていた。これとは別に、職業別に血液型分布を調査し、職業特性と比較することも行われた。


古川の説を支持したのは、東京帝国大学(現東京大学)医学部教授であった古畑種基であった。心理学だけではなく、医学、教育など多くの分野で注目を集めるようになったが、少なく見積もっても300くらいの追試研究によって例外が多いことがわかり、古畑も懐疑的になり、当時の学界では否定される結果となった。


しかし、当時は統計的検定や性格検査などの手法が未整備であったため、それらの否定的な結論を無批判に受け入れることは必ずしも適切ではない。再調査を実施してみると、多くのデータは有意差は示さないが、一部のものは有意でありかつ古川の主張と一致すると前川輝光(亜細亜大学国際関係学部教授、専門はインド宗教)などがいっている。


「否定的な結論を無批判に受け入れることは必ずしも適切ではない。」という意見は尊重するとして、否定的な結論を当時の学界が共有していたことを理解しないことはもっと適切ではない。また、否定されたことは事実として動かないが、これだけ多くの人の興味をひいた学説は日本の心理学では他にないという意味で古川の学説は偉大である。


なお、古川が「何」学者、なのか、というのは難しい問いである。東京帝国大学(現東京大学)で教育学で修めていること、『心理学研究』に投稿したとはいえ、母校の教育雑誌にも投稿していること、からすると、本人の意識は教育学者だったのではないかと思われる。教育心理学者の先駆、という見方もできよう。


改めて,インターネットで検索すると,AB型やB型は就職や進学にも不利なんて話さえ出てきています。そんな,バカな!!


明日は,血液型性格判断を大流行させた張本人,能見正比古について書いてゆきます。