血液型番組の殿堂 フジテレビ系について

北斗の拳 2巻の表紙

能見正比古・俊賢親子がサンケイ新聞と関連があったことにより,血液型番組に最初に生命をふきこんだのはおそらくフジ・サンケイであったと思われる。
バラエティなどで圧倒的な結果を出している同系列について,いろいろ調べていたら,知人が面白いものを紹介してくれた。


北斗の拳」というマンガをご存知だろうか(また,それをテーマに取ったパチスロ機が,目下革命的な人気を博しているのをご存知だろうか)。「北斗の拳」は,20世紀の末に核戦争が置き,人類の文化は破壊されたが,人類は生き残って…というややSF的なマンガなのだが,空手のような対決の要素もあり,暴力的なシーンが極めて多い。私も,教えてくれた知人から数冊借り受けて読んでみたが,暴力と言うより,かなり残酷なシーンが多く,子供も視聴する可能性を考えることを前提にすると,とてもテレビで放映できるような内容ではないことが良くわかった。しかし,フジテレビ系はこのアニメをテレビ放映することに成功する…。

画像で示した北斗の拳の2巻の中に書かれている,「フジ系が北斗の拳の放映が出来た理由」を抜粋してみる。これを読むと,フジ系が堂々と血液型番組を放映し始め,かつ大成功を収め続けた理由が理解できそうに思うのだが…



(中略)
過激な表現が放送コードに抵触!?

 しかしこれだけ過激な作品を,フジテレビは19時というゴールデンタイムに放送することがよくできたものだ。当時もいわゆる「放送コード」は存在していたにも関わらず,だ。
 正確には「日本民間放送連盟放送基準」という放送コードは,1970年に最初の基準が制定されて以降,改定を重ねながら現在に至っている。基本的内容はあまり変わっておらず,当時も今も残酷な表現などにはしっかりとした規定が記されているのだ。そして,「北斗の拳」は,やはりいくつかの項目に抵触する可能性があったと言う。
 例えば3章(17)項「児童向け番組で,悪徳行為・残忍・陰惨などの場面を取り扱う時は,児童の気持ちを過度に刺激したり傷つけたりしないように配慮する」や,8章(43)項「放送内容は,放送時刻に応じて視聴者の生活状態を考慮し,不快な感じを与えないようにする」などがそうだ。
 つまり,放送コードにいくつか抵触する可能性がありながらも「北斗の拳」は放送されていたのである。では,なぜ放映は可能になったのだろうか。実は,「フジテレビ」だから放送できた明確な理由があったりするのだ。

フジテレビの番組の作り方

 通常,テレビ局が番組を制作・放送する場合は二つのパターンがある。番組制作会社が企画し,広告代理店がスポンサーを探してきてテレビ局に持ち込む「営業主導型」と,テレビ局が企画し,それからスポンサーを探す「企画主導型」だ。テレビ局としては手間もかからず,営業的には安全な「営業主導型」のほうがありがたいのは当然だろうが,当時のフジテレビのアニメーションは「企画主導型」で製作されていたのだ。
 TV番組はスポンサーがいないと成立しない。「営業主導型」では放送コードに引っかかりそうな原作で企画を立ててスポンサーを見つけても,局にNGを出されたら仕事は成立しないわけで,当然そんな危ない橋は渡れない。しかし,「企画主導型」の場合は,局が放送を前提にして,こんな原作ですがスポンサーにつきませんかという手順になる。
 フジテレビ側が「放送コードに引っかかりそうな内容ですが,そこは十分配慮して,問題にならないように作ります」と営業したのであれば,あとはその話に乗るスポンサーがいれば番組は成立するのだ。事実,フジテレビはこの方法で数々の過激なアニメーションや尖ったバラエティ番組を成功させていったのだ。

さらにもう1点,フジテレビは局主導だからこそできるウルトラCを持っていた。それはネットワークのローカル局への売り方だった。

(後略)



さらにもう1点…以降は次回に詳しく触れるとして,本日はフジ系の「企画主導型」の番組制作についてである。


現在の血液型番組についていえば,視聴率がほどほどについてまわる番組だから,といえば,かなりのスポンサーがノッてくると思われる。そして,問題なのはテレビ局側が,「極めて問題である部分」については,最初から目をつぶる,例えば,視聴者がうるさく言ってくるようになったらまたそのとき考えよう,と言うぐらいのスタンスで番組を制作しているような,そんな危険なところなのだ。

テレビ局が,番組制作会社からの企画を「検閲して」(すなわち「営業主導型」)判断するのではなく,「視聴率が取れそうな番組については,製作会社を助けて,悪く言えば,『問題点を見逃してやる』ように計らい,番組が成立しやすいように立ち回ってやる」のが,「企画主導型」番組作成システム,ということになる。

すると,厳格な放送コードがあっても,ともすれば「なるべく企画が通過するような」力学が,どうしても働きやすくなるのではないだろうか。また,製作段階の最初,すなわち企画の段階から「問題は後で何とかしよう」,ということでスポンサーを募ってしまうのだから,企画が動き出したら,おそらくもう後戻りも出来ないのである。
血液型番組大隆盛の元にも,この「企画主導型」番組制作があるように思われてならない。


スポンサーがつくから,番組は制作され続けるのであれば,スポンサーが付かなくしなくては,異常な番組はなくならないのである。


それならば,どうしたらいいのであろうか?

(つづく)